舛添要一氏が、こんな内容のツイートをしている。

ヘイトスピーチに刑事罰を設ける条例案を川崎市議会が審議。これくらい厳しい規制が必要だ。平気でヘイトスピーチを行う人は、海外で「日本人を追い出せ」というようなスピーチに出会ったらどう思うか想像してみるがよい。ナチスのユダヤ人虐殺も、このようなヘイトスピーチから始まっている。

 

どう思うかというが、「ヘイトスピーチ」がどのような場面で、どのような意味で使われているかによるとでも言うしかない。

 

例えば、イラク戦争はアメリカ軍がイラクの首都バグダットを占領し、アメリカの勝利に終わった。

そこで、仮に日本人がイラクに不法入国し、自分達は戦勝国民だと称してイラク人を殺害し、財産を奪い、女性を強姦し、一等地を不法占拠して違法ギャンブルを行い、アフマド~などイラク人風の名前を名乗ってイラク人に成りすまし(見た目でばれるとは思うが)、その所業を非難されれば差別だと開き直り被害者面する。

そんなことをしてイラク人から「日本人を追い出せ」と言われれば、それは当然だと思う。

さらに、日本の恥だ、そんなことはやめろ、すぐに日本へ帰って来いと言うだろう。

 

「憎悪」されても仕方がない。

 

逆に、中国や韓国の反日デモのように、何の理由もなく日本人を殺せ、追い出せと叫び、日本の国鳥であるキジを殺すなどしている姿を見れば、当然憤慨する。

何の理由もなく、と言ったが、彼ら的には理由はある。

はるか聖徳太子の時代に対等の国書を送ってきたからだ。

結局は「日本のくせに」ということなのだから、まさに特定の民族であることを理由とした「差別」だ。

 

ヘイトを差別と訳すなら、確かにそのような「ヘイト」に対しては憤りを覚える。

しかし、ヘイトは憎悪という意味で、特に差別という意味合いは含まれていないようだ。

にもかかわらずヘイトスピーチを差別表現という意味でも使うから、訳が分からなくなる。

いちいち横文字にせずに、憎悪表現、差別表現と呼べばすむことではないか。

事実に基づいた理由のある怒り、憎しみであることから目を逸らすために意図的に混同させたのかとも考えたが、「いや、単に横文字カッケー、くらいの感覚でやってる」らしい。

 

本当に差別表現を批判したいのなら、差別は差別、憎悪は憎悪と使い分けた方がいいのではないか。

以前つくば街宣で、国民保険制度について述べさせていただいた。

多くの日本人は年間数十万円の保険料を支払っているだろうが、外国人は日本に3ヶ月住めば年間2~3万円の負担で国民健康保険を利用できる。こんな馬鹿なことがあるか。日本人に対する差別というべきだ、と。

このような理不尽な日本人差別に怒り、憎しみの感情を抱くのは当然ではないか。

 

だから、「差別表現やめろ!」と言われれば、どこが差別なのかと反論することも問い返すこともできる。

だが、「ヘイトやめろ!」と言われれば、「何でだ!」とでも返すほかなくなる。

話がかみ合わない。少なくとも建設的な議論にはなりにくい。

ヘイトスピーチという単語を見て、それがどのような場面でどのような意味で使われているのか、いちいち確認しなければならないのは時間の無駄だし、ぶっちゃけ面倒くさい。

時間の無駄を省き、建設的な議論ができるようになねためにも、ヘイトスピーチなどという横文字ではなく、きちんと差別表現、憎悪表現という言葉を使っていただきたい。

 

ところで

ナチスのユダヤ人虐殺も、このようなヘイトスピーチから始まっている。

中国や韓国のヘイトスピーチこと差別表現は、日本人虐殺への始まりだということでよろしいか。

中国人や韓国朝鮮人には、通州事件に始まる中国人による日本人虐殺、戦後の朝鮮半島、日本国内での朝鮮人による日本人虐殺という前歴もある。遡れば元寇におる日本人虐殺の前歴も。

 

舛添氏は、中国や韓国のヘイトスピーチこと差別表現に何か言ったのか。

何も言っていないのなら、中国や韓国朝鮮の日本人虐殺は容認するということか。

ならば、舛添氏もまた、日本人を差別しているということになる。