前⇒ヘイトスピーチ① 定義と憎む理由
「ヘイトスピーチ」とされる言説も内容を見てみると、多くは、外国、外国人の具体的な所業に対する怒り、憎しみといった、人間としての自然な感情の発露に過ぎない。
他方、確かに本当に差別、偏見というべきものもあるにはある。
例えば、朝鮮半島における、人糞から作った酒、トンスルを飲むことを糞喰いと揶揄するような内容のものだ。
トンスルも、医学が発達していない時代に薬効を求めて生まれた文化だ。
更に、酒を造る材料に乏しい遊牧民の中には馬糞から酒を造る部族もいる。
中国の紹興酒は、かつては、まろみを出すために子供の尿を混ぜていた。今のような調味料のない中での工夫、文化であったことには違いない。
いずれも飲みたいとは思わないが、馬糞喰い、小便飲みなどと嘲笑するつもりはない。
自分達とは違う文化だから嘲笑の対象とするのは差別、偏見というべきだろう。
昔は刺身を食べる日本人について、魚を生で食べる民族、ろくな調理法も知らない民族と馬鹿にされた。これと同じことだ。
まあ、馬鹿にされるのはともかく、刺身の美味しさ、健康に良いことは知らないでいてもらって良かったのだが。知られた為に日本人が食べれる分が減ってしまった。
理があるだけで受け入れられるか
しかし、そのような差別的とはいえない言説に対しても、「言わんとすることは分かるが、言い方が問題だ」という批判がある。
これは、大声で激しい、時には汚い言葉でする表現のことを言っているのだろう。
だが待って欲しい。
世界に数多ある人種民族が、皆が皆、穏やかに理を説かれただけで素直に受け入れるのだろうか。
以前、中国に滞在した経験のある知人から、こんな話を聞いたことがある。
「いやあ、中国人は凄いよ。女性同士でも真昼間の路上で、もの凄い喧嘩をするんだ」
「凄い喧嘩って、中国拳法で映画みたいな格闘でもするのか?」
「いや、そういうのじゃなくて、もの凄い口論」
「もの凄い口論って、どんな?」
「あ、えーと、その何だ。相手に向かって、この臭い女性器め、みたいなニュアンスのセリフとかを、ね。大声で叫ぶ、とか」
知人はどう表現していいのか困った様子だった。そもそも言葉が汚すぎて日本語に正確に訳せない(対応する単語がない)とも言っていた。
また、少し前に、東京で中国人がウイグル人に対して罵声を浴びせている動画があった。
中国語が分かる人によれば、「お前の母ちゃんを強姦してやる」というような内容の、聞くに堪えない汚い言葉だとのことだった。
これらの話を聞いて、幕末に中国、朝鮮を経て日本に来た外国人が、日本人は中国人や朝鮮人と違って、汚い言葉で喧嘩しないと驚いていたという話を思い出した。
中国や韓国・朝鮮で汚い言葉で喧嘩をすることも、一応、自己の正当性を主張したり相手の非を鳴らしたりするために汚く激しい言葉で飾る(?)文化とも言える。文化が言いすぎだとしても、そのような気質を持った民族だということではある。他の多くの外国も、程度の差はあれ似たようなものなのではないか。
このような民族に対して、穏やかに理を説いて、それで、はいそうですかと素直に受け入れられるのだろうか。
無論、個人単位では理性的な中国人や韓国・朝鮮人はいくらでもいるだろう。だが、個人単位の話をし出したらキリがない。その国家、民族の行動や傾向に応じて対処しなければならない事はある。
そもそも、日本人同士でも、時として言葉に感情を乗せることは普通にあるだろう。
貴方の家に乱入し、金品を強奪し、妻子を襲う暴漢がいたら、貴方はどうするか。
そのような時は「テメエ、何やってやがる!ぶっ殺すぞ!」くらいの事は言うのではないか。
暴漢に対して「キミキミ、君のしていることは刑法130条の住居侵入罪と240条の強盗強姦罪に該当する違法な行為なんだよ」などと穏やかに理を説いたところで、暴漢は聞く耳も持たないだろう。
それどころか、何をしても大した事にならないと高を括るのではないか。
日本人同士であっても、自己の正当性や、相手の所業に対する怒りや憎しみを伝える為に一定の所作が必要になることはある。
日本人でさえそういうことはあるのに、自己の正当性を主張し、相手の非を鳴らすために汚く激しい言葉を用いる文化、気質の民族が相手だ。
穏やかに丁寧に理を説いたところで、聞く耳を持たない、下手をすれば、何をしても大したことにならないと高を括り逆効果となる可能性すらある。
「ヘイトスピーチ」をせざるを得ない場合がある
相手がこのような民族であればこそ。
歴史認識についても、尖閣、竹島への侵略にしても、社会保障タダ乗りにしても、それらを批判する為に、時には強く、激しく、大きい言葉が必要となることはある。
中には耳目を引いて関心を持ってもらうために過剰に声高に叫んでいるケースも見受けられるが。
そもそも、歴史認識にしても侵略にしても、社会保障タダ乗りにしても、本来は政府や政治家が主張し、反論し、批判し、マスコミは事実を国民に伝えなければならないはずだ。
だが、政府、政治家が実際にやっていることは遺憾砲を放つくらいだ。マスコミは報道しない自由発動。
故に、しばしば、国民が自身のみで中国なり韓国・朝鮮なりその他の外国なりを批判しなければならなくなる。政府や政治家は沈黙しているが、我々日本人は許していない、怒り憎んでいるんだという意思を表示するために。
政府が沈黙する分だけ強く。
政治家が沈黙する分だけ激しく。
マスコミが沈黙する分だけ大きく。
一般の人々が、外国、外国人の文化や気質を理解した上で、それでもなお表現方法が頂けないというのなら仕方がない。
だが、本来自身でなすべきことをしない政府、政治家、マスコミが、あるいは識者が、彼らがなすべきことをしないがため「ヘイトスピーチ」をせざるを得なくなった人々を、果たして批判する資格があるのか。
「ヘイトスピーチ」こと憎悪表現は、日本人が自身で国家を、尊厳と名誉を、安全を守るために、それをせざるを得ないときが間違いなくある。
続⇒ヘイトスピーチ③ 日本が日本人の国であることも「ヘイト」か