日本は除外の多文化共生
多文化共生
多様性
岸田総理の答弁でも繰り返し共生社会という単語が出てくる。
多文化というが、それぞれの文化に特色があり、他面、根底に他の文化と相いれないものがあるから別々の文化になっている。
それを同じ場所で混ぜこぜにしようとすれば当然、軋轢が生じる。それを避けるには、どちらかが我慢する、譲らせるしかない。
だが、それは我慢させられる、譲らされる方の文化を否定することとなる。1つの文化の否定であり、他文化の強制だ。
日本ではどうだろうか。
我慢し、譲らされるているのは日本人だ。
ムスリムの土葬墓地にせよクルド人の危険・迷惑行為にせよ、引っ掻き回され、押し付けられている。
自民党の地方議員からさえ「多文化共生ではなく他文化強制だ」という批判の声が上がっているにもかかわらず、政府・与党自民党は沈黙しているだけで日本人を護ろうとしない。日本人の被害、犠牲は一顧だにせず、壊れたレコードのように多文化共生を繰り返す。
政府・与党があれだけ叫ぶ多文化共生の「多」の中に日本は入っていない。
多文化共生には棲み分けが必要
異なる文化間に摩擦、軋轢が生じ、どちらも譲れないとなれば紛争となる。紛争どころか、行きつけば戦争だ。
大げさな話ではない。ユーゴスラビア内戦やアフガニスタン内戦はじめ、世界で起きている内戦の多くはこれだ。宗教、人種、民族、価値観、経済に絡んで、それぞれに譲れないものがあったために起きた。
解消するには他の文化を抹殺するしかない。そういう判断に至った。
日本とて今のまま行けばユーゴスラビアやアフガニスタンのような戦乱の巷となりかねない。
そういう事態に至ることを防ぐには、多文化は最初から距離を置いて互いに干渉しないという形を取るのが最も妥当だ。
要は別々の国としてそれぞれやっていこうということになる。それぞれの文化、風習、習慣、価値観、宗教を基盤とした国々が互いの領分には干渉せず、距離を置いて並立する。多文化共生にはそれで充分であるし、終局的にはそういう形でしか実現できない。
逆に、その多文化共生を同じ場所でやろうとすれば、その国の中に別の国ができるという事になる。
「外国人に選んでもらえる国」
本年5月、経団連が外国人政策委員会なる組織を立ち上げた。この組織について戸倉会長は「外国人に魅力ある働き先として選んでもらえる国になるための環境整備が必要」であるという見解を述べた。
岸田総理も日本に来てもらうための整備が必要という趣旨の事を述べている。
外国人に選んでもらえる国とはどのような国だろうか。
当事者の立場になれば、結局は母国と同じように過ごせる環境ではないか。
わざわざ外国語を覚え、自国とは異なる風土、風習、習慣、価値観を四苦八苦しながら理解し身に着ける努力などしなくても働いて生活していける環境。
母国のコミュニティ、母国のミニチュアだ。
皆さんだったらどうだろう。
皆さんが外国に仕事で滞在することとなったとき-旅行のようにその国の風土こそ醍醐味という場合ではなく-働いて生活していく場合、選択できるならどのような国を選ぶだろうか。
日本と同じように過ごせる国とそうでない国。前者を選ぶのではないか。当然だろう、ストレスを抱えながら、しなくても済む努力をしたいという人はそうそういない。
外国人だって同じだ。
政府も与党も経団連も、そんなことは百も承知だろう。その行きつく先が日本の中に別の国々ができてゆくことも。
「二千年にわたって同じ民族が、同じ言語で、同じ一つの王朝を保ち続けている国など世界中に日本しかない」
私からすれば「だから?」です。
多様性を認めあい、お互いの違いを認識し支え合う社会を。
ご存じの方も多いかと思うが、麻生太郎氏の発言に対する立憲民主党の蓮舫氏の発言だ。
多文化共生も、結局は同じ事を言っている。移民政策、多文化共生により、多民族、多言語社会になってゆく。多民族、他民族が日本の天皇、王朝を尊重するか。
自民党支持者は蓮舫氏の発言を批判していたはずだが、同じ口で政府の移民政策は呼び方が違うから移民政策ではないと賛同する。
自民党も立憲民主党も根本は同じ。
移民政策について取り上げたい事は他にもあるが、いったんこの辺にし、他の事は補足、傍証という形で機会を改めて投稿することとしたい。
亡国政策を亡国政策というのに延々筆を費やすのも馬鹿馬鹿しいと思いながらも、あれこれ詰め込みすぎた感がある。
また、最初の記事で述べたように、そもそも移民を呼んだところで来ないという、より選択の余地が少ない事態を前提に対策を講じるべきだろう。
とりあえず、移民政策に賛同という方々には、はっきり言ってもらいたいことはある。
この移民政策シリーズでも取り上げた移民、外国人犯罪による被害、犠牲の数々について。
「人手不足解消のための、多文化共生社会へ移るためのやむを得ない犠牲だ」と。
デメリット、副作用、犠牲について沈黙したまま、必要性だけを言い立てて移民政策推進の政党に投票させようというのは端的に言って詐欺だ。