島田雅彦氏「安倍総理暗殺よかった」発言
法政大学の島田雅彦教授がインターネット番組で、安倍総理暗殺について「暗殺が成功してよかった」などと発言。多くの批判を浴びた。
この件について夕刊フジは以下のような質問を島田氏に送った。
①「あの暗殺が成功して良かった」という発言の意味・真意は
②暴力で言論が封じられることを、時と場合によっては良いと考えるのか
③法政大学教授として「テロ行為の容認」という教育をしているのか
④放送翌日、岸田首相に爆発物が投げつけられる事件が発生した。感想を
これに対する島田氏の回答は以下の通り。
そもそも質問されていない内容について回答、否、見解を述べている部分があるが、この部分も島田氏のスタンスを示す部分として重要と思うので引用している。
夕刊フジの記事へのリンクはこちら
島田氏の回答文
引用
テロの成功に肯定的な評価を与えたことは公的な発言として軽率であったことを認めます。殺人を容認する意図は全くありませんが、そのように誤解される恐れは充分にあったので、批判は謙虚に受け止め、今後は慎重に発言するよう努めます。
「公的な発言として軽率であった」
インターネット番組のように日本だけでなく世界に配信される公の場で言ったのがマズかったというだけで、テロを肯定する発言が不適切だったと言っているわけではない。
「殺人を容認する意図は全くありませんが」
暗殺成功を喜ぶのは殺人容認以外の何ものでもないのではないか。
概要
安倍元首相襲撃事件には悪政へ抵抗、復讐という背景も感じられる。山上被告への同情を隠すつもりはない。
ここでいう「悪政」が具体的に何なのか、多分に島田氏の主観によるのではないか、安倍元総理とどのような関係があるのか疑問だが、とりあえずそのような感情を抱くなとまで言える話ではない。というより、そのようなことは、そもそも不可能だ。
概要
さらに政権と旧統一教会の癒着を暴露する結果になったのも事実。今回の発言はそうしたことを踏まえ、かつ山上容疑者への同情からつい口に出てしまった。
「政権と旧統一教会の癒着を暴露する結果になったのも事実」
ここでも癒着がどのようなものか疑問があるが、とりあえずそれは措いて、癒着を暴露するためならテロという手段に訴えることを容認しているということだ。
引用
また大学の講義で殺人やテロリズムを容認するような発言をしたことはありません。テロ容認。言論に対する暴力的封殺に抵抗を覚えるのは一言論人として当然であるし、また暴力に対する暴力的報復も否定する立場から、先制攻撃や敵基地攻撃など専守防衛を逸脱する戦争行為にも反対します。
「大学の講義で殺人やテロリズムを容認するような発言をしたことはありません」
大学以外であれテロを容認する発言を、学問を担う、社会的地位を有する大学教授がすることが問題視されている。
また、質問の中には先制攻撃や敵基地攻撃といった島田氏の政治的立場を問う内容は含まれていない。回答は文字通り質問に答える場であり、自分の政治的主張の場ではない。
引用
戦争はしばしば、言論の弾圧という事態を伴ってきたという歴史を振り返り、テロリズムと同様に戦争にも反対の立場であることを明言しておきます。
これも先と同様。戦争に関する立場については、そもそも問われていない。
引用
一方で、安倍元首相暗殺事件や岸田首相襲撃事件を言論に対する暴力と捉える場合、これまで政権が行ってきた言論、報道への介入、文書改竄(かいざん)、説明責任の放棄といった負の側面が目立たなくなるということもありました。
これも先の癒着云々と同様、(仮に)言論、報道への介入、文書改竄(かいざん)、説明責任の放棄が事実であれば、安倍総理、岸田総理への襲撃事件は言論に対する暴力ではなく、容認されるという考えと受け取るのが自然。
引用
また民主主義への暴力的挑戦と捉えると、国会軽視や安保三法案の閣議決定など民主主義の原則を踏み躙るような行為を公然と行ってきた政権があたかも民主主義の守護者であったかのような錯覚を与えるという面もあります。
前に同じ。
一部引用
テロは政権に反省を促すよりは、政府の治安維持機能を強化し、時に真実を隠蔽することに繋がることもあるがゆえ、肯定的評価を与えることはできません。
初っ端から、「政権に反省を促せる」ならテロも肯定すると言っていないか、これ?
テロを肯定的に評価しない理由として「政府の治安維持機能を強化する」ということを挙げているが、政府の取り締まり強化や厳罰化に繋がるからというに過ぎない。
引用
放送の翌日に岸田首相に爆発物が投げつけられる事件が起きましたが、歴史を振り返ると、テロリズムが世直しのきっかけになったケースはほとんどないし、連鎖反応や模倣犯を呼び込む可能性もあると改めて思いました。
世直しのきっかけになりうるならテロリズムも認めるということか。
上記の回答文を読んで、普通にテロを肯定しているだろう。
島田氏は一体どういうつもりでこの回答をしたのか。大学教授なのだから知能が足りないなんてことはないはず。これを読んで一般的な国民が「そういう意図だったのか。島田氏がテロを肯定しているというのは誤解だった」などと思うはずもないことは、間違いなく分かっていたはずだ。
結局、これが島田氏にとって何があっても譲れない根本的な考え方ということだろう。
法政大学の反応
これに対し法政大学は「個人の発言であり、個々の教員がメディア、マスコミなどで行う発言については大学としては関知しない」という立場のようだ。
学問は研究と議論によってなされる。学者のどちらの説が正しいかを散弾銃や爆弾を撃ち合って、どちらが生き残ったかで判断するわけでもあるまい。
個人の発言であれテロを肯定する人物を教授の地位に置いていること自体が大学として大問題なはず。
にもかかわらず関知しない、何らの措置も取らないというのなら法政大学にはもはや自浄作用がないと言わざるを得ない。
ただ、「公平」に言うのなら、このことは法政大学に限ったことではないのだが・・・
アカデミアもメディア同様、自浄作用が期待できないのであれば、いったん更地に戻すくらいのことが必要ではないか。