人種・民族ごとの個性はある
中国人、韓国・朝鮮人の例
外国人問題についての意見に対し、人種や民族で一括りにするなという批判がある。
だが、個々人に文字通り個性があるように、人種、民族にもそれぞれ個性-傾向、性向、特質等-がある。
例えば、中国人が街路の花壇に排便したりすることを批判して「中国人はマナーが悪い」と指摘すると、「中国人だからと一括りにするな」と批判する。
言われるまでもなく、中国人が1人の例外もなく花壇に排便するなどということはあるはずがない。
だが、日本にいる多数の外国人の中で、白昼の公道で排便するのは中国人くらいのものだろう。
中国人は民族的傾向、性向として、白昼の公道で排便する。他にもゴミを分別しないどころか、きちんと集積所に出すことすらせず街路に投げ捨てるなどのマナーの悪さを有するのは事実だ。
韓国・朝鮮人も諸々挙げられるが、賠償蒸し返しやGSOMIA騒動に代表されるように約束を守らない、不誠実という点が民族的性向として指摘することができる。
確かにマナーのいい中国人、約束を守る韓国・朝鮮人は当然存在する。だが、個人単位の事を言い出したらキリがない。
それとも、仮に中国人10億人のうち、9億9999万9999人は白昼の公道で排便するが、残りの1人はそのような事はしないというにとどまっても、中国人はマナーが悪いという指摘に、中国人だからと一括りにするなと言うのだろうか。
韓国・朝鮮人8000万人のうち、7999万9999人は約束を守らないが、残る1人は約束を守るというにとどまっても、韓国・朝鮮人は約束を守らないという指摘に、韓国・朝鮮人だからと一括りにするなと言うのだろうか。
そのような事を言っていては外国、外国人の分析などできなくなるし、日本人の安全、利益を守るための対処もできなくなる。
特定の民族に一定の犯罪的傾向があれば安易に日本に入国させないよう措置を講じなければならないし、特定の民族に約束を守らないという性向があれば日本国内での活動に一定の規律を設けなければならないだろう。
そして、それは別段、中国人、韓国・朝鮮人に限ったことではない。
欧米人の例
東京の水産市場で、欧米人が冷凍マグロに触りたがるので困るという市場の方の話を聞いたことがある。
人の体温で触ると変質して味も落ちてしまうので、その点説明して触らないように言うのだが、ちょっと目を離すと触ろうとするのだそうだ。
そういえば、欧米人の男性がウツボに触っている動画があった。危険極まりない行動なのだが、彼以外にもウツボを面白がって触っている動画があった。
中にはウツボに指を噛み千切られ、再生医療で指が復元したと現代医療のすばらしさを賞賛している動画もあった。確かに医療は賞賛すべきだろうが、「違う、そうじゃない」と思うのは私だけではないと思う。
欧米人には、何か魚介類を見ると触りたくなる性向があるのだろうか。
ともかく、注意しても触るのをやめないため、やむをえず、市場は外国人の立ち入れる場所に制限を設けたとのことだ。
そのような具体的な事実があっての措置や、「欧米人はこれだから」との市場の方のぼやきも、一括りにするなと言うのだろうか。
日本人の例
逆に、一括りにするなと言うのなら、「日本人は器用」と言う事も許さないことになる。
戦国時代、ポルトガルからもたらされた鉄砲を、器用な日本人は解体して構造を掴むと、国産化してしまった。
日本人からすれば特段違和感を覚える話でもないが、これは内戦状態の日本の大名達に鉄砲を売って儲けようとしていたヨーロッパ人の目算を狂わせた大変な事件だった。
もっと身近な例で言えば、折り紙がある。
日本人なら大体は折り紙で鶴が折れると思う。私は不器用なので余白が出ないように、ぴったり綺麗に折ることはできないのだが、それでも折ることはできる。折鶴が折れるのは世界的に見て非常に器用な部類に入る。
それができる日本人は、世界から見れば「日本人は器用だ」という見方になる。
これも「日本人が器用と一括りにするな」とでも言うのだろうか。
人種、民族は、それぞれ良きにせ悪しきにせよ傾向や性向、特質は存在する。
その傾向等を指摘することは単に事実を述べているだけであるし、必要に応じて対処をしなければならない場面も出てくる。
日本国外の日本人への対処
日本国内の外国人だけでなく、国外の日本人も同様だ。
かつて移民国家アメリカでは、警察に出身国ごとの担当部署があった。
例えば、アイルランド系の犯罪を担当する部署、イギリス系の犯罪を担当する部署、イタリア系の犯罪を担当する部署等だ。それぞれの出身国ごとに言葉も犯罪のタイプも異なるために、それに対応するために設置された。
様々ある出身国の中で、日系を担当する部署は、1世、2世の間はなく、3世になって設置された。
1世、2世の間は日本人は犯罪を行わなかったからだ(無論ゼロではないだろうが専門の部署を作るまでのことではなかったのだろう)。
3世になってようやく(?)犯罪を行うようになったため、設置されたということだ。
では、日系1世、2世の間に日系の犯罪を担当する部署を設置しなかったことは、アイルランド系等に対する差別になるか。
ならないだろう。犯罪を行わないという日本人の民族的傾向から日系担当部署を設置する必要がなかったというだけだ。日本人も犯罪を行うのに、何かしら忖度して設置しなかったという話ではないのだ。
逆に、アイルランド系等の部署を設置するのはアメリカ国民の安全と利益を守るためにとられた措置に過ぎない。
アイルランド系にも犯罪を行わない人がいる、一括りにするな、そんな部署は設置するなという言う者はいなかったろう。
そして、3世の代になって日系の部署が設けられるに至ったこともまた、日系の犯罪からアメリカ国民の安全と利益を守るためにとられた措置に過ぎない。
日系にも犯罪を行わない人がいる、一括りにするな、そんな部署は設置するなという言う者もまたいなかったろう。
だが、現在日本で「一括りにするな」という歴々が言っているのはこういうことだ。
「一括りにするな」は言論封殺にして日本人差別
それにしても、上の日系の話を聞くと、移民して国籍を取得しても、少なくとも2世までは元々の出身国、民族の特質を保持しているということは言える。
日本において日本国籍を取得した外国人についても、少なくとも2世までは、あくまで外国人だと思った方がいい。
無論、3世以降なら安心という訳ではないが。
ともあれ、人種、民族ごとにそれぞれ傾向、性向、特質はあるのであり、その事実を知り、必要な措置をとることは日本人の安全と利益を守るためにも必要だ。
それを「一括りにするな」として否定するのは、自分達に都合の悪い事実を指摘するなという言論封殺、日本人の安全と利益を守るなという日本人差別に他ならない。
私自身は保守だと考えている者ですが、掲載文に疑問や違和感があるので、同じ保守の立場でのアンチテーゼとして、また保守層の一個人としてコメントをさせて頂きます。
掲載文の中で、日系1世、2世の間に日系の犯罪を担当する部署を設置しなかったことは、アイルランド系等に対する差別になるか。
とありますが、良い事に対しても差別と言う言葉は当てはまるので、日本人へ対する差別でもあります。
現に、商品市場に於いては 「 新商品と、既存の商品との差別化を図る 」という表現をしますね。
余談はこれ位にして、筆者の掲載文の中で 他民族の中にも真面な者が1/80000000人居るから一括りにするな。という様な表現をされていますが、余りにも論理が飛躍した表現に思えます。
確かに、地域性による独自の風習や習慣を有した民族の中には理解しがたい特性や性質を兼ね備えた傾向の者がある一定数の割合で存在している事実も否めないものの、やはり主観や印象で判断する事無く、具体的・定量的に根拠を示す必要がある筈です。
でないと、敵に対し 差別主義者 というレッテル貼りの口実を与える結果になるでしょう。
本来、差別とは辞書に於いて、 差をつけて扱うこと。 わけへだて。 区別すること。 けじめ。
と記載されて居るにも拘らず、人に対して差別と言う言葉を使うと、一部の者が都合に合わせ使い分け悪い言葉であるかの様にイメージさせ、刷り込み悪用しています。
さて、掲載文の内容にて筆者が主張し、訴えたい内容に対しての真意は勿論、理解しているつもりですが
私が疑問に感じた本文の内容で 日系を担当する部署は、1世、2世の間はなく、3世になって設置された。
その理由として、 犯罪が行われた為 との分析をされていますが、では何故、3世になってから犯罪が
発生する事態になったのでしょうか?
そこが、本件に於いて意見の相違を生み出す最大のキーポイントになるかと考えます。
恐らく日本人の倫理や、道徳、風習、習慣、躾け、美徳、品格、思いやり、といった日本人の心や日本人の資質という日本人を形成する大切な何かが、生活環境によって薄れたり無くしてしまったからでは無いでしょうか。
移住先で日本人の心や日本人の資質を失い、地域環境や特性に適用し、現地人との繋がりを持つ事で、特亜や
欧米の風習、習慣、価値観を身に纏い、本来の日本人の価値観とは相容れぬ日系3世や4世の者が帰国し、後に
日本に於いて政治に関与するケース。
或いは日本生まれで日本育ち、日本人の倫理や、道徳、風習、習慣、躾け、美徳、品格、思いやりといった、日本人の心や、日本人の資質、また皇室を敬うという日本人を形成する大切な要素を兼ね備え、日本人として生き、日本へ利益を齎す覚悟を決めた、ハーフや帰化人が政治に関与した場合と、どちらが日本に有益なのでしょうか?
今現在、日本人というだけの国賊や売国奴、または共産主義者が居るのも事実です。
米国に於いては第二次大戦・朝鮮戦争・ベトナム戦争を経て、黒人の社会的立場が向上していった事実が有りますが、筆者は先の大戦に於いて、米兵として戦った日系移民の 442部隊 をどの様に評価しますか?
私は、立派な方々であると認識しております。
また、その442部隊に対して第40代内閣総理大臣東条英機氏から手紙が送られてますが、その内容や行為に対し
どの様に評価しますか?
私は、これら手紙の内容と行為に対し、理解し 支持し 評価しております。
筆者が、評価出来ない行為だと言うのであれば、理解し合う事は難しいと諦めます。
ここ日本に於いては、思想信条の自由、表現の自由の下、多種多様な考え、思想心情を持つのは自由ですが
人の人生に於いては、自身の都合や思想心情には配慮されず、全く忖度する事無く、親兄弟や御子息と云った
家族や親類が、何かの縁によって外国籍の者や帰化人と家族を形成したりと、変化する事も有るのです。
その様な事案を含め、多種多様なケースを考慮し、多くの支持を得られる事が大切かと思います。
私としては以上の様に考える為、 3世 という条件で 一括り にする根拠や動機の裏付けと言った説得力の
弱い説明の様に思え、大多数の日本国民から到底、理解や支持を得られる内容だとは思えません。
以上、私個人の思想を反映した意見ですが、この様な視点や価値観を持った保守層も居る事を認識して頂き
筆者の保守活動に於いて、少しでも参考になればと思い、アンチテーゼで立場でコメントをしました。
最後に、貴殿の今後の活躍に期待しております。
ご意見ありがとうございます。
頂いたご意見の全てに私の考えを述べることはできませんが、東条首相からの442部隊への手紙は私の好きなエピソードの1つです。
本記事に限らず、頂いたご意見は以後の記事や過去の記事の加筆修正に反映させていく予定です。