王朝崩壊したとして
先頃、中国が福島の処理水輩出やアメリカの民主主義に関しコラージュを用いて批判をした。
いずれもその後削除されているが、ネット上ではまだ見られる。私が見た時の感想は下品というのもあるが、それ以上に、雑だな、というものだった。
何か焦っているというか、冷静さを欠いているような行動だった。
似たような事を感じている方もいるようで、中国国内で何か起きているのではないか、中国崩壊の兆しではないかという意見もあるようだ。
中国国内で何か起きているのか、このまま崩壊するのかは分からない。ただ、何かしら軋みのようなものは感じている。
では、崩壊したとして、その後どうなるか。
いったん幾つかの勢力が割拠し、再び1つの中国へ向かうのか。
あるいは、しばしば言われるように幾つかの国に分裂するのか。
前者は王朝が崩壊、各地に軍閥が割拠し、戦乱を経て再び1つの中国を目指すという歴代中華帝国が繰り返してきたパターンだ。
後者は、そうではなく、以後は複数の国が並立する状態となる。
分裂というよりは、始皇帝以前への回帰というべきか。
始皇帝以前
歴史に興味のない方でも、学校の授業などで春秋五覇とか戦国七雄といった言葉を聞いたことがあるかと思う。
元々中国というか中国大陸には数多くの国々があった。
中国の戦国時代の末期には戦国七雄として、秦のほか、韓、魏、趙、燕、斉、楚があった。
下の図は現代中国の白地図に当時の国々を記載したもの。
その前の春秋時代にはこれらのほか、周、晋(後に韓、魏、趙に分裂)、衛、曹、陳、蔡、宋、魯、鄭、呉、越などの国々があった。春秋五覇はその中で有力だった国々をいう。
更に春秋時代の初期になると100近くの国があった。
要は、今のヨーロッパと似たような状態だった。
秦よりも後の時代になるが、三国志で有名な劉備玄徳と諸葛亮孔明は出身地≒出身国が違うのでお互いの言葉が十分に通じていなかったのではないという指摘もある。
それを最終的に始皇帝が統一した。
結果から見て「統一」と表現しがちだが、当時の人々からすれば独立した王国だったのに秦に侵略され、領土を奪われただけとも言える。
ナポレオンあるいはヒトラーの侵略が成功したヨーロッパという例えもできる。
始皇帝の業績は偉大であることは言を俟たないが、裏を返せば多くの国が消えたという事でもある。
今のヨーロッパの国々がそれぞれ個性や強み、共同体意識を持っているように、始皇帝以前の中国大陸の国々も同様に、それぞれ個性や強み、共同体意識を持っていた。
私は美術は全く疎いのだが、春秋戦国時代には各国の個性を有した、優れた様々な美術品、工芸品があったとのことだ。
また、共同体意識についてもそれぞれの国民が自国、自国民に対して持っていた。
趙のエピソード
戦国時代の趙に李同という武将がいた。
祖国趙が秦の侵攻により滅亡の危機に晒された際、楚と魏からの援軍が到着するまでの時間稼ぎをするために決死隊を結成、何度も秦軍に突撃を繰り返し、秦軍を押し戻した。
李同自身はこの突撃で戦死したが時間稼ぎは成功し、楚と魏からの援軍は到着し秦軍を退けることができた。
日本の神風特攻隊を思わせるようなエピソードだ。
1つの中国になる前の国々にはこういう人物がいた。
-モンゴル帝国に最後まで抵抗した文天祥のような人物についてどう考えるかについては、文量の関係で記事を改めたい-
始皇帝以降
1つの中国になった後はどうか。
前に私の祖父の軍歴証明を掲載したが、祖父は中国戦線で戦っていた。
その祖父が中国軍について話してくれたことがある。私が子供の頃の話なのでうろ覚えになっているが、大体このような趣旨だ。
「中国軍は弱いわけじゃない。優れた作戦を立てる。ただ、崩れやすい」
中国軍はナチスドイツの支援を受けていた。戦術の指導のほか武器自体の供与も含まれていた。
後にヨーロッパを席巻する事となるナチスドイツの支援を受けていたのだから戦術は優れていただろうし、祖父は戦術の話しかしていなかったが、恐らくは祖父が戦った中国軍は武器にもドイツ製の新式のものが含まれていただろう。
だが、戦術を遂行するのも武器を扱うのも人間だ。
EU離脱派のイギリス人の言
「日本の最高裁がソウルにあり国会が中国にあったら嫌でしょう」
目にしたことのある方も多いかもしれないが、EU離脱派のイギリス人の言葉だ。
イギリス人からすればEUによる「統合」は国会がフランスにあり最高裁判所がドイツにあるという状態をもたらすものとなる。
始皇帝以降の中国はこれだ。
例えば、先ほどの趙の国民からすれば(当然現代のヨーロッパとは政治制度は違うが)、国会が秦にあり、最高裁判所が燕にあるというような状態になる。
現在のヨーロッパ人がキリスト教を基盤とするヨーロッパ文化圏という意識は持っても、そこに1つの国家としての共同体意識までは持てないように、中国人も儒教を基盤とする中華文化圏という意識は持っても、そこに1つの国家としての共同体意識までは持てなかった。
それが祖父の言う、「中国軍は弱いわけじゃない。優れた作戦を立てる。ただ、崩れやすい」なのではないか。
中国兵からすれば共同体意識を持てない、自国を守るという意識を持てない。
何のために戦うのか意義も分からないまま駆り出されて武器を渡されても、命懸けで戦う気にはなれない。
結局、優れた作戦と最新式の武器があっても、戦い切れずに崩れてしまう。
その為、中国軍には自軍の兵が後退したり逃げたりしたときに背後から射殺する督戦隊があった。
幸い、日本人にはピンとこない話だが、あえて例えをするなら、日本の戦国時代、金で雇われた傭兵はー専門兵士であるにもかかわらずー崩れやすく、自分の郷里を守ろうとする農民兵の方が粘り強く戦ったという話を挙げることができるかもしれない。
共同体意識、同胞意識
共同体意識を持てないという事は、同国民に対して同胞意識を持てないという事にもなる。
特に為政者が同国民に対して同胞意識を持てないことは、為政者が自分の利益を優先させ、自国民を無碍にし、ひいては収奪の対象とする要因となりうる。
先ほどの趙については李同の決死隊のエピソードの他にも、その李同の進言を受けて趙の公子(趙王の子)平原君が祖国防衛のために全財産を供出したというエピソードもある。
対して1つの中国となった現代の中国共産党幹部は富裕層だが、手にした富を国家国民のために使うどころか海外に隠したりしている。
それでも金の話ならまだマシで、国民に同胞意識を持てないという事が行き着くと、人としての尊厳を認めない、人間扱いしないという事にまでなりうる。天安門事件での自国民弾圧は共産党体制だからというだけの話ではないだろう。
ヨーロッパにしてもEU官僚はEU貴族と揶揄されるような好待遇となっている。この先、統合が進んでいけば今の中国のような状態になっていく可能性は低くないと私は考えている。
統一により戦争がなくなるか
EUは先の大戦の反省の上に戦争をしないために作られた、だから統合は大事であり進めるべきだと主張されることがある。
中国についてもEUを引き合いに出して1つの中国が良いのだという意見もある。
だが、EUの統合ならぬ統一に至った中国は、王朝交代の度に「内戦」という名の大乱を起こしている。
この大乱により民衆は命を落とし、あるいは住む所を失い流民となり、その流民が賊と化し、また別の民衆を襲うという地獄が繰り広げられる。
ヨーロッパの様な国境という防壁がないため混乱に拍車がかかる。
そして、しばしば指摘されることだが、王朝交代によりリセットがかかり国家としての連続性が途切れるので、同じ事が繰り返される。
始皇帝以前へ回帰したら
では、始皇帝以前へ回帰する、複数の国々が並立する時代へ戻るとどうか。
日本国内にもそれに期待する向きがある。脅威の度合いが下がるという見通しだ。
だが、どうだろうか。始皇帝以前へ回帰したら中国の脅威度は下がるだろうか。
16世紀以来、世界中をヨーロッパ勢力が荒らし回ったが、ヨーロッパといっても、それはスペインでありポルトガルであり、オランダ、イギリス、フランス、後発としてドイツといった国々であり、ヨーロッパ帝国とかいう1つの国であったわけではない。
ヨーロッパの国々にもそれぞれ個性、強みがある。
単純に、イギリスの海運、フランスの農業、ドイツの工業として、これらを統合したらどうなるか。
統合というが、ごちゃ混ぜにするだけとも言える。イギリスとフランスとドイツを足して3で割り、もう一度3を掛ける。
「統合」により確かに図体は大きくなるだろう。だが、果たしてそれまでの強みを残せるだろうか。
仮にヨーロッパが16世紀まで統一されていたとして、ヨーロッパは世界を席巻できるほどの力を持てたか。
やはり疑問ではある。
-ここで気になるのはアメリカだが、アメリカについては正直よく分からないことが多いので、もっと調べてから取り上げさせていただきたい-
中国に関しても、始皇帝以前への回帰により、世界を荒らし回ったヨーロッパのような国々が中国大陸に復活し、日本含めアジア諸国の脅威となる可能性は十二分にあると思う。
私の考えとしては、中国が崩壊したとして、その後は始皇帝以前へ回帰する、複数の国々に戻る方が中国人にとっては幸せだろうなとは思う。
儒教は君主制と親和性が高いので、それぞれの国は立憲君主制をとるのが良いと思う。
民主化すれば、少なくとも今よりは自由で尊厳ある生活は送れるようになるであろうし、先ほどの李同や平原君のエピソードからも、共同体意識を持てる国であれば為政者も今よりは国民の方を向いて政治をするようになると思う。
無論、それは私自分はそう思うという話で、1つの中国で行くか始皇帝以前へ回帰するかは中国人自身が決めることだ。
あくまで1つの中国で行くんだ、自分個人の尊厳や自由、生活は多少犠牲にしても大中華の栄光を輝かせるのだというなら、それも間違いなく1つの選択肢だ。
いや、尊厳や自由、生活は大事だし、共同体意識、同胞意識を持てるような、気心の知れた者同士で国家を運営していきたい、始皇帝以前へ戻るんだというのであれば、それも選択肢だ。
どちらでもいい、中国人の選択次第だ。
この点、始皇帝以前と言ったって、本来の漢民族や各国民をどう見分けていくのか、立憲君主制というが君主を誰にするのか等の意見があるかもしれないが、DNA鑑定の技術が進んだ現代なら、そのような見分けやかつての国々の君主の子孫を探すこともできるかもしれない(適当)。
(適当)って、そんな無責任なと言われそうだが、その通りだ。
始皇帝以前へ回帰することを中国人が選択したとして、具体的にどのように各国を復活させるかも中国人が判断し決めることだ。
日本の対応
日本としては、中国人が1つの中国を選択したのであれば、ともかく数を集められるという利点を活かした侵略や、何よりも王朝交代で周辺諸国に破片をまき散らしながら盛大に自爆崩落する場合に備えておく必要がある。
中国人が始皇帝以前への回帰を選択したのであれば、かつて世界を荒らし回ったヨーロッパの様な国々の復活に備えておく必要がある。
迷惑度で言えば1つの中国。
脅威度で言えば始皇帝以前への回帰。
まあ、日本の立場としては「どちらも嫌だ」という選択肢があったら一番なのだが(笑)。