東京都武蔵野市で外国人に投票権を認める住民投票制度案
東京都武蔵野市で市から議会に提案された、外国人にも投票権を認める住民投票制度の条例案が問題となっている。
まず、多くの方々が指摘しているように、これは事実上の外国人参政権を認めるものだ。
この点、松下玲子市長は住民投票は選挙とは違う、法的拘束力はないと強調する。
だが他方で市長や議会は結果を尊重しながら議論した上で市政に反映するかを決定するとする。
外国人の意思が市政を左右しうるのであるから、立派な参政権だろう。
無論、市長、市議にはあくまで拒否する権限があるが、拒否したとき、投票の提案者は「彼ら市長、市議がまず選挙で選ばれた市民の代表。納得しよう」となるか。
「尊重しないのか、差別主義者め」
マスコミや市民団体が袋叩きにして、事実上、受け入れさせる。こんな光景が浮かぶのは私だけだろうか。
この外国人参政権の危険性について、ここで一緒に述べると長く、ごっちゃとなるので機会を改めたい。
住民投票制度に対する、そもそもの疑問
そして、この住民投票制度、何となくいい制度だと思っている方も少なくないかもしれない。
だが、疑問に思ったことはないだろうか。
「住民投票で市政を決めるのなら、何のために選挙をしたのか」
市政に関する様々な事を住民がいちいち決めるなどという事はできない。だからこそ、選挙で市長や市議会議員を選出し、彼らを通じて市政を決定するのではないか。
それをしないで住民投票で物事を決めるというのは、市長も市議も、「自分たちは市民の利害調整も意見の集約反映もできません」と言っているのと変わらない。何のために税金から給料もらっているのかという話にもなってくる。
現在、常設型の住民投票制度を設けている自治体が日本全国でおよそ80、外国人に認めている自治体が40とのこと。
外国人に投票権を認めるか否かに関わらず、住民投票制度を導入した自治体の議員の中に、「我々が議員の任に堪えないというのか」「我々に存在意義がないというのか、馬鹿にするな」
そう怒った議員はいなかったのか。
武蔵野市でも、賛成の市議は、市民から選出された市民の代表という自分たちの存在意義を否定する条例案に何らの怒りも感じないのか。
私は、この住民投票度それ自体に疑問がある。
住民投票制度は市民に問う機会があった
このような住民投票制度の批判に対して、住民投票には選挙の際に論点とならなかった論点について有権者に問う機能があるという反論がある。
だが、武蔵野市の件については、条例案は市長の側から提案されたものだが、市長選は10月。
そこで論点にすればよかったではないか。
それをしなかったのは、論点にすれば反対されるのが分かっているから隠していた。
そのような騙し討ちに近いな方法を使ってまで、日本人の意思より外国人の意思をこそ市政に反映したかった。
それが松下市長の、あるいは賛成派の市議の真意だと言わざるを得ない。