中国について、「中国」と呼ぶべきか、「シナ」と呼ぶべきかという議論がある。
どちらかといえば、歴史的な経緯云々というよりはシナが差別用語かどうかが論点になっているようだ。
よく言われるように、シナ・支那は始皇帝で知られる秦を語源とするとされており、別段差別用語ではない。シナを差別用語だというのなら、同じく秦を語源とするChinaという呼び方も差別用語ということになる。
では、だから中国を「中国」ではなく「シナ」と呼ぶべきかと言えば、私は「中国」の呼び方でいいと思う。
1つは、中国自身が自らの国名を中華人民共和国としているのであるから、その通りに呼ぶのが妥当だということ。
ミャンマーはかつてビルマと呼ばれていたが、今はミャンマーと称し、日本でも一般的にその名称で呼ばれている。
ビルマやミャンマーについて色々意見や解釈があるが、当該国がそう称したいというのであれば敢えて否定する必要もない。
中国についても同様だ。
もう1つは、中国の方が、彼の国の本質をこれ以上ないくらい端的に表しているからだ。
中国、国家としての名称は中華人民共和国。
中華とは国家とか文明圏とかいう意味。
一度くらい中華思想とか中華主義いう言葉を聞いたことがあるかと思う。
これは誤解しやすいが、
自分の国が一番という考え、感情は、どの国、どこの国民でもある。
そうでないのは、日本の反日主義者と売国奴くらいのものだ。
中華思想とは、「この世界に、国家は、文明は中国だけ」という思想だ。根本には儒教という宗教がある。
繰り返しになるが、「
国家、文明といえるのは、この地球上に中国だけ。他に国などない。文明もない。
それが中国人の根本的な考え方だ。
いわば、中華とは固有名詞ではなく普通名詞。中華人民共和国というのは、国共和国とでも称しているようなもの。
何だよ、それじゃ、中国以外の国々は国家じゃないっていうのかという声が当然あるだろう。
その通りだ。
日本も、朝鮮も、タイもベトナムも、中国人にとって国家ではない(朝鮮はやや「別格」だが)。
だから、かつて聖徳太子が送った国書に中華帝国、隋の皇帝煬帝は激怒した(⇒関連記事:ヘイトスピーチ)。
たまに、国書の宛先が「日没する処」の天子、すなわち凋落する国のようにも取れるから激怒したと説明されることがあるが、実際の理由は、「日出処の天子」から「日没する処の天子」への国書であったこと、すなわち、一国の君主から一国の君主への対等の形式で送られた国書であったことによる。
周辺地域の野蛮人である日本人如きが、こともあろうに中華帝国皇帝に対等の国書を送ってきた。許しがたい。何様のつもりか。
こんなところか。
私も理解はできないし、実感も持てない。ただ、理屈としてはこういうことになっている。
あえて例をあげるなら、どこかの町内会長が、官邸に内閣総理大臣の肩書きで手紙を送ってきたようなものだろうか。
いや、もっと強く。猿山の猿が人間様と対等のつもりで手紙を送ってた。こちらの方が適切か。
ともかく、中華思想においては、中国以外に国はない。
もっと言えば、中国人以外は人間ではない、ケダモノだ。
例外は、中国の冊封を受け、その属国となった国。
代表格は朝鮮。中国の属国になる、冊封体制に入ることで、衛星国という立場であるが、一応の国家(準国家とでも言うのが妥当か)として認められる。
故に、中国は、東シナ海にせよ南シナ海にせよ、平気で侵略をする。
「中国人」の感覚で言えば、野原や山林を整地して建物を建てたら、それまでそこを通り道にしていた動物が文句を言ってきた。あまつさえ人間様に牙を向いてきた。
こういうことになる。
比較的自然を大事にし共存してきた日本人でさえ、山林の動物達の縄張り等のルールを人間のそれと同じく扱うことまではしない。
それと同じだ。
身近な例でも、マンションやアパートで、中国人がルールを守らずトラブルを起こすケースがあるが、これを注意されたときの中国人の反論が、「中国ではこうやっている」「中国ではこれでいいんだ」というものであることが、ままある。
野蛮人のルール、あるいは動物の掟など知ったことか。
これが中華の人、「中国人」の考え方だ。
自分達だけが国家というものを持つ文明人。この地球に自分達以外の国はないし、文明もない。
人間のルールというのは自分達中国人のルールであり、唯一のルール。他の地域のケダモノのルールなどルールに入らない。
これが「中華」だ。
「中国」という表現は、彼の国の本質をこれ以上ないくらい端的に表している。
故に、中国はシナではなく「中国」と呼ぶべきだと考える。
ただし、中国の意味を、日本人の常識になるくらい、きっちりと教えることが大前提となるが。
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