今夏に東京都知事選が予定され、また、衆院の解散総選挙も年内に行われる可能性がある。

 

政治家、国会議員であれ地方の首長、議員であれ被選挙権は日本国籍を有する者に限られている。日本の主権と国益を護り、日本という国家の存立を護るためだ。

選挙権も現在、日本国籍を有する者に限られている。理由は被選挙権と同様、日本の主権と国益を護り、日本という国家の存立を護るためだ。

だが、直接政治に携わらなくとも、日本の政治に外国、外国の団体等が影響を及ぼす手段はある。

例えば献金、選挙運動などだ。

これらには一応の法的制約はある。

 

これに対し、あまり大きく取り上げられることはないが、法律上の制約が設けられていない、だが外国等が日本の政治に影響を及ぼしうる事態として、政治家の配偶者や家族等が外国人である場合が挙げられる。

先頃、自民党の小泉進次郎衆議院議員が滝川クリステル氏と結婚した。

滝川氏はご存知のとおりハーフだ(父がフランス人、母が日本人)。

テレビニュースではあまり取り上げられなかったようだが、地元ではハーフであることにつき疑問の声が上がっていたとの事だ。

それは当然だろう。

政治家、それも国会議員となればまさに国運を担う重責を負う職業。

外国の影響を受け、その利益を図って行動するときは日本の国益を大きく損ない、最悪の場合国を滅ぼしかねない。

日本とフランスも現時点で直接干戈を交える可能性は低いが、経済活動の点で競合することはありうる。

実際、フランス企業が日本の水道や空港に手を伸ばしてきている。

滝川氏が国会議員、しかも環境大臣である小泉氏にフランスの利を図るべく働きかけるという事態は想定し得ないものではない。

実際、今現在日本国籍を取得している滝川氏だが、昔は自身のアイデンティティに迷い悩んだという。

いつまたその懊悩が首をもたげてこないとも限らない。

 

他にも、配偶者が外国人である政治家として、有村治子参議院議員がいる。

女性宮家に反対の立場で、いわゆる保守系の政治家とされているが、夫は中国系マレーシア人。というより、中国人(マレーシア国籍)と言った方が分かりやすいだろうか。

このことが明らかになった後、やはり機密漏えい、スパイの危険を指摘されたとのこと。

当然だろう。どうあがいても中国は日本の敵性国家であることは否定しようがない。

有村議員はこの批判を受けてか、参議院議員になってから4年後に夫に日本国籍を取得させている。

 

有村氏のケースが滝川氏のケース以上に問題なのは、配偶者がハーフどころか純粋な外国人だという点ではなく、国会議員としての適性を批判されての国籍取得だということ。

この夫の立場からすれば、妻が批判の的になったために仕方なく日本国籍を取得したということだ。覚悟を決めて日本人として生き、日本人として死ぬ道を選んだかは甚だ疑問と言わざるを得ない。

日本と中国は、はっきり言って敵国同士だ。

仕方なく日本国籍を取得した中国人の夫が、果たして日本のために働こうとするだろうか。むしろ中国のために働く可能性の方が高いと考えるのが素直だ。

 

 

逆に、仮にあなたが中国人の政治家と結婚したとして、日本と中国が戦争状態になったとき、中国人の配偶者と一緒になって日本を滅ぼそうと働くだろうか。

ある程度の躊躇はあるかもしれないが、少しでも日本に有利になるように動くのではないか。

中国の側からすれば中国にいながら中国の国益を阻害する行為に他ならない。

スパイであり工作だ。

 

政治家が外国人を配偶者とすることには、常にそのような危険が付きまとう。

そのため、政治家、特に国家の要職については配偶者の国籍について制限を設けている国もある。

ミャンマーのアウン・サン・スー・チー女史は、同国の憲法の規定では配偶者が外国籍である者は大統領になれないとされているため大統領となれなかった。

どういうわけか、この取扱は批判的なニュアンスで伝えられることが多いが、むしろ国防の一手段として当然の規定ではないか。

 

滝川氏にせよ、有村議員の夫にせよ、もしかしたら本当に覚悟を決めて日本人として生きていく道を選んだのかもしれない。

だが、心底は他人からは伺い知ることはできない。

そうなれば、政治家、それも国運を担う国会議員が外国人を配偶者にすることは、日本の主権、国益を損ね、国を滅ぼしかねない危険を孕むものとして厳に避けるべきではないか。

配偶者の国籍国がいずれであるかに関わらない。国際情勢次第では今日の友邦が明日の敵国となることもある。

 

現実問題として、仮に外国人配偶者が真に日本人として生きていくことを選んだとしても、その子供はどうか。

滝川氏自身がアイデンティティに悩んだというとおり、子供も同じように悩み、そして、外国人の親の祖国を選ぶということも十分ありうる。

外国のアイデンティティを持ち、日本の被選挙権を持ち、場合によっては親から引き継いだ政治的地盤を持つ政治家が誕生する。

 

日本の存立を危うくする事態以外の何ものでもない。

 

もちろん、個別のケースでいえば、配偶者やその親族からの働きかけを断固拒否し続け日本の国益を守り、その子も変わらず日本人としてアイデンティティを持って日本のために働いてくれる可能性はある。

だが、そうでなかったとき。配偶者からの働きかけにブレてしまい、あるいは、その子が外国人配偶者の母国にアイデンティティを持ってしまったときは、日本の国益や日本人の安全・利益を害する結果になりかねない。特に国政を担う国会議員の場合、亡国に繋がりかねない。

もしも、あらかじめ本人がブレないか、その子が日本人としてのアイデンティティを持ってくれるか、正確に判断できるなら、三代の制限のようなものはなくてもすむ。だが、ブレないか、その子が日本人としてのアイデンティティを持ってくれるか将来に渡る予測をすることは実際には不可能だ。

そうなれば、三代制限のような一律の基準を設けるしかない。

 

ちなみに、自衛隊でも、少なくとも以前までは外国人が配偶者の隊員は幹部にさせないという取扱になっていたとのことだ。

これも国防を担う組織の一員であり、やはり日本という国家の存立に関わる職であるからだ。一律の基準で外国が日本の国防に影響を及ぼすことを未然に防止することを目的とする。

 

政治家にとっては、結婚相手を選ぶにも制限がある、不自由以外の何ものでもないだろう。

だが、政治家は公人として、およそ日本の主権を害し、国益を損ない、国家としての存立を危うくする芽は予め徹底して摘んでおく必要がある。

その義務がある。

そのような不自由さを甘受するからこそ、国民が信頼し、様々な権限あるいは特権、社会的地位を得ることに納得するのではないだろうか。

 

これは議員になった後ではなく、なろうとする時点でも既に妥当する。

政治家を目指す者、殊、国会議員に立候補しようとする者は半公人ともいうべきもの。

候補者としての政治的、社会的責任に鑑みれば、外国人が配偶者であれば、自ら立候補自体を控えるか、そうでなければ配偶者が外国人であるという状態を解消してから立候補すべきではないか。

それらの対応について候補者自身の自律に期待できないということであれば、法律で明確に制限を設けるべきと考える。

 

関連記事

帰化議員のリスク 事実上の外国人参政権