根拠ある主張も「限界」か

 
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かねてより日本の安全保障環境の厳しさの高まり、それへの対処の必要性が指摘されていたが、ロシアによるウクライナ侵略を機に左派の主張の矛盾が隠し切れないものになりつつある。

これでやっと色々な事を建設的に議論できる、前に進めることができるようになるとホッとしている方も少なくないと思う。

だが、そのような動き、意見に対して揶揄し嘲笑する向きが見受けられるようにもなってきている。限界保守、偽装保守といった揶揄嘲笑だ。これらはネットスラングであり一般的なものではないが、とりあえず本記事ではこの単語を使わせていただきたい。

左派によるものではない。むしろ左派に対しては、それはそれで批判的な層-広い括りになるが、ここでも前回まで同様、体制保守の意で保守と表現させていただきたい-保守の中からのものだ。

ダブルスタンダードや根拠のない批判等は保守左派以前の問題として批判されてもやむを得ない。だが、この保守による揶揄嘲笑は根拠のある意見に対しても行われている。安全保障に限らず様々な分野で。

左派の主張の矛盾、ご都合主義が通じなくなり退潮するのに合わせたかのように。

 

外資土地取得

かねてから外資(含む外国人)による日本の土地取得について安全保障上の危険性を指摘し、法規制の導入・強化を求める方は多く居た。そして、少しずつその認識は広がり、一部法制化へと繋がった。

他方で前述のとおり、そのような外資による土地取得規制の強化を求める人達を揶揄する向きがある。

ご存じの通り、自衛隊基地や原発周辺の土地取得は、その機能を阻害したり破壊工作の拠点として利用される危険がある。それ以外の土地もインフラ寸断に利用される等の危険もある。

私も偶にくらいだが、安全保障に関わりのある方にお話を聞く機会はある。そのような方も、外資による土地取得はその危険性をはっきり口にする。少なくとも限界保守の荒唐無稽な妄想ではないだろう。

どのような基準で外資と判断するのか、規制対象とすべき危険性と判断するのか、経済活動との調整をどうするのかといった技術的問題は当然あるが、それは規制の必要性の有無とは別次元の話だ。

 

左派と酷似する保守の言説

この規制に対する保守からの揶揄の中で特に強い引っ掛かりを覚えたのは、「現在外資に取得されている土地は原野商法の対象となるような土地だ、それを大げさに騒いで規制を求める限界保守」といった類のものだ。

仮に今現在、外資に取得されている土地が皆どうあがいても使い道のない原野商法の対象となるような土地であったなら、それは不幸中の幸い。上記のような危険性を有する土地を取得される前に法規制の強化をすべきとなるのではないか。

にもかかわらず現在危険がないからと、それを求める人を揶揄し嘲笑し、ともかく一歩進んだ規制を否定し引き戻そうとするかの行動をとっている。

 

他方、左派系メディア筆頭とも言うべき朝日新聞は、この土地取得規制法についてこのような趣旨の報道をしていた。

「基地等周辺地で外資(外国人)の所有と思われるのは全国でも数えるほどだった。立法の必要性はなかった。」

仮に今現在、外資に取得されている基地周辺等の土地が数えるほどであったのなら(ただし登記名義人と実質的所有者が異なる事はままある)、それは不幸中の幸い。更に多くの土地を取得される前に法規制の強化をすべきとなるのではないか。

限界保守を嗤う保守と左派、言っている事が同じだ。

 

帰化人の国政選挙立候補

昨年の衆院選でも話題となった帰化人の国政選挙立候補について否定的な意見を述べる人たちへ向けても揶揄嘲笑が見受けられた。

否定的意見は、帰化議員は日本ではなくその出身国の為に働くのではないかという疑念に基づくものであり、何となく外国人が嫌いだからという根拠のないものではない。

帰化者への参政権付与に世代数制限を

帰化した以上は無制限の被選挙権を認めるべきだというのも1つの意見ではあり、それは尊重する(賛同するという意味ではない)。だが、それであるならば日本ではなく外国の為に働く疑念を拭えない帰化議員は認めるべきではないというのもまた1つの意見であるはずだ。現実に帰化者の参政権を制限している国もあるのだから。

だが、その意見を限界保守と言う揶揄で一蹴する。自分とは異なる意見は認めないというのは左派と変わらない。

 

慰安婦日韓合意

歴史関係では慰安婦に関する日韓合意への批判に対しても揶揄嘲笑がある。

言うまでもないが、日韓合意への批判は韓国が嫌いだからなどという感情論ではない。あの合意は強制連行に含みを持たせた形になっている。幸い今の所韓国がカードとして利用する事態は生じていないが、何らかの状況の変化で蒸し返しになる可能性を含んでいるから批判されているのだ。

かつて、保守は慰安婦強制連行の虚構に関しては批判していたではないか。多くの方々の努力でその虚構が明らかになっていったところで、強制連行に含みを持たせた合意がされたのだ。蒸し返されれば今までの多くの方々の労苦は水の泡になり、再び強制連行の虚構が流布される。危機感を覚え批判するのはおかしい事でも何でもない。

かつては強制連行の虚構を批判していた保守が、再びの虚構の流布に対する危機感を口にする者に対しては揶揄嘲笑する。

 

憲法9条

日本周辺での有事が現実味を帯びている中、憲法についても気になる意見が見受けられるようになっている。

9条があったから、かつてあったアメリカの派兵要請を断れたというものだ。

念のため、これも左派ではなく、保守の中から出てきたものだ。

憲法(というより法律全般)は日本国内にしか効力は有さない、外国に対しては何ら効力を有しないという70年続けられた憲法論争もどきを更に続けるのかという話となる。これは別途、記事にすることとしたい。

憲法9条でアメリカの派兵要請を断れた?

 

上記、安全保障でも歴史でも、なぜ、不毛な議論に終止符を打ち、前向きな話が出来そうだとなってきた段階で逆行させるような動きが出て来たのか。

単なる逆張り商法や、知見をひけらかしてマウント取りをする手合いなら良い。いや、良くはないのだが基本的に取り合わなければいい。

だが、もう少し構造的なものがあるのではないかと考えている。

 

戦後の言論構造

教科書問題の際の一風景

かつて-20年ほど前になる-自虐史観、反日史観の教科書が教育現場で用いられている状況に対して、新しい教科書を作ろうという動きがあり、実際に後に作られた。

その動きに対して左派が妨害してきたのは当然だが、更に保守論客までもが、そんなものを作ってどうするのかと絡んだり侮蔑的な評価をしたりと否定的な言動をとっていた。

左派ではなく保守論客が、だ。

意外に思われるだろうが、教科書作成に携わった方が憤慨して言ったのは「保守論客も結局は反論する対象がなければ困るのだろう」ということだった。

私も同じように考えている。

戦後の言論においては、左派の矛盾やご都合主義の言説に対する反論が保守論客の立ち位置となっている面はあった。

歴史認識で言えば、どう見てもおかしい強制連行やら虐殺やらの主張に反論していれば良かった。だが、新しい教科書で左派の反日史観が潰えれば、それを批判してきた保守論客が立ち位置を失う恐れがある。

故に教科書自体を作り直し、不毛な歴史論争を終焉させるという「根本的解決」をしようとする連中が邪魔だったのではないか。20年前の時点で既に。

 

近時も戦前の大日本帝国、大東亜戦争を茶化し侮辱するような言説も見かける。

戦前日本に色々な問題があったのは事実。だが、それは時代的限界の中でした戦いの意義を否定することに直結するわけではない。

日本の戦いの意義は本題ではないのでここでは措く。ここでの本題は、日本に着せられた汚名を多くの人々が長い年月をかけて漸く雪いだ、いわば左派を土俵際まで追い詰めた段階になって、おもむろに土俵の中央まで引き戻すような動きをし始めたことだ。あくまで戦前日本について否定的立場を取るというのなら、今まで幾らでも機会があったにも関わらず。

 

安全保障論議というボーナスステージ

戦後の言論は当然様々な分野で行われたが、特に安全保障関係では非武装中立に始まる矛盾した出鱈目な平和論に反論していればよかった。ぶっちゃけて言えばボーナスステージのようなものだったろう。だが、安全保障環境の変化によりそれも大きく揺らいでいる。

「9条で国は護れない」と主張しても「はあ、まあ、そうだね。何でそんな当たり前の事言ってるの?」

今やこうなりつつある。だが従来はそのような当たり前のことを言っていれば一端の保守論客たりえた。

保守の中に時代の動きを逆行させようとするような動きが見受けられるようになったのは、歴史でも安全保障でも、それ以外の様々な分野でも、揺らぎ始めた自らの立ち位置を守り保つべく、均衡回復、リバランスを図ろうとしている事によるのではないか。

それでも左派を直接持ち上げたり擁護したりすることはさすがにできない。そこで、左派を本当に追い落とし、均衡を崩しかねない者を限界保守等のレッテル貼りで排除しリバランスを図る。

保守は保守でも戦後体制における自らの立ち位置を守り保つという意味の保守、体制保守。

 

考えすぎであれば、それに越したことはない。

だが、世界が大きく変動しつつある中、元々歪さを抱えた戦後の政治社会の仕組み、戦後体制に揺らぎが見え始めているのは事実だ。分野を問わず様々なものを見直す必要が出てくるだろう。

その中で左派に批判的=保守=愛国というような単純な図式で考えていると、思わぬ所から足を引っかけられる可能性がある。先程の9条についても、保守論客から憲法改正反対という意見が出てくることさえあるかもしれない。

以前、評論家の岡崎久彦氏が、後20年もすれば左派が消滅し日本はぐっと良くなると述べていたが、左派だけ根絶すれば万事解決という単純な話でもないかもしれない。

今は逆張り商法やマウントかくらいに思っていられる動きも、もっと大掛かりな逆回転の動きになるかもしれない。

その事を頭の片隅に置いておくくらいのことはしておいた方が良いと考えている。

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